おかやまのNPO
ミヤマユリネ
活動報告等になります
気候変化により7~9月の局所水害が定着してしまいそうな昨今ですが、屋久島を見ていると暖かい地域ではこの時期より警戒が必要なようです。
7月以降の警戒が必要と感じていましたが本州での水害時期も早まっている感があります。
災害への備えをお願いします。
軽々に申し上げられない部分も多いのですが、地域での治療に関するご相談もお受けします。
診療機関の選択は重要で命に関わるのはもちろんですが、ご家族の納得の行く治療であったかということも大切です。
遺族は家族の命を奪った治療の費用も請求されますが、その屈辱的な思いと共に助けられなかった選択を誤ったという後悔に心を痛めつけられます。
パソコンのトラブル対応やIT導入・講習も行っていますが基礎的な理解を深め、対応力を育てる方針を取っています。トラブルの場合も再発しては意味がありませんからね。
ITの導入は省力化が目的ですが、その効果として運営のリソースを削減でき、活動の自由度を向上させることにあります。
決してやってはいけないのは経費削減の為だけに安易にITを導入することです。そこで発生する問題が野放しになり、フォローもしなくなります。
適切な支援が必要だと思います。
正直、移住は必ず成功すると保証できません。
しかし幾つか移住に有利な条件はありますので早期に決断すれば支援が回ってきます。
行政のサポートも、人々の支援もタイムリミットがあるものが多いので、災害に相対しては日頃の信頼関係が重要と感じています。
当方を信用して下さった方にはなぜか良い方に運が回っているので安堵しています。
様々な場面で周囲の人が”深入りしない”という態度を取ることがありますが、これは事後に問題につながるケースがあります。
先日の児童虐待死のニュースが繰り返し報道されていますが、これは無関心、あるいは無関心に着地しようとした結果かもしれません。
一例として地域の方の隣家への詮索は平常は好ましくなく感じることも多いと思いますが、助かったと感じる場面もあると思います。
深入りするかしないかの判断は”当事者が困窮しているかどうか”にあると考えます。
放置されることで状況が改善されず、もしくは悪化して悲劇に至るケースもありますが、別のケースもあります。
追い詰められることで”誰も助けてくれない””自分でなんとかするしかない”と思いこむ当事者がいるからです。
その方を救う制度であったり、できる協力はある、もしくは専門家に解決して頂くしかない内容であるわけですが、本人が適切でない対処を強行してしまうことがあるのです。
こういった状態の人に下手に「大丈夫ですよ」などと言ってはいけません。真剣に考えてくれていない、事なかれ主義で片づけられた、見捨てられたと思いこみます。
つまり”深入りを避けられた”と感じ取られるのです。
実際にどのように手を差し伸べるかは状況次第ですが、安易に事を片づけようとすることは厳禁です。特にそれを態度に出してしまってはいけません。
山野に食材ごみを遺棄すると熊などの野生動物を低山に引き寄せてしまうことになります。