減災という言葉について
減災という言葉について

減災という言葉について

 2009年頃から、内閣府が「減災」という言葉を使い始めています。この頃は行政の「防災」と地域・個人による「減災」という位置づけで使用しているように見えます。しかし言葉として定着した感はありませんでした。
 基本的には国や政府が災害対策に力を入れるが個人・地域も被害拡大防止に力を入れてほしいという当時の啓蒙中心の意味合いが感じられます。

 この言葉が2017年頃から再び頻繁に使用されるようになります。この間には大きな災害が集中しており、政府や国が自己責任をベースに地域や個人で災害に備えるよう呼びかけるスタンスが多く見受けられるようになりました。
 そして今使われている減災は個人・地域に災害に備えることに加え、災害時の適切な行動を呼びかける意図で使われています。国と政府が避難の目安である警報種別に敏感になっている事がうかがえます。最大解釈では自身で危険に敏感になり警報に関係なく早めに避難せよという呼びかけに要約されます。国・政府から見て、それが災害の被害を小さくすることになるからです。

 しかし同様にこの言葉も一般に定着しているようには見えません。パソコンの漢字変換でもげんさいが適切に変換されない場合があるようです。

 では防災と減災は違うのか? と言えば実態として区分はないと思われます。防災には被害の拡大防止が含まれているからです。

 別の意味で言えば防災は広い定義を持ちます。しかしこれは当たり前の事なのです。例えば災害が進行中の現場に置いて、これが被害拡大防止だから減災・他は被害防止だから防災などと区別することに意味はありません。区別が難しいという難点もあるでしょう。そもそも区別するための思考や時間は一刻を争う事態に割かれるべきではありません。
さらにどこまでが国や政府の担当でどこまでが個人での対処すべき事か という区分もリアルタイムで進行する災害には意味はありません。その時できる人ができるだけの事を行うしかありません。救助を要請しつつ自力で安全を確保するという行為は一連の避難行動になります。

 

 こうして見ると、災害に関して次々と出てくる新語は広報的な意味合いとそこに織り込みたい区分にあると言えます。

 行政が災害に対して、責任・対応をどこまでやるかについては距離を取りたいという意図が少なからずあるようです。その線引きを焦っているように感じます。

 なぜそうなるかについては、国庫への経済的負担を懸念していること(こちらを否定するわけではありません)と、現在の予報や警報が十全に機能していない事の自覚があるためです。

 被災地の方が仮設住宅に入る際には抽選で競争になりますが、その後は4~6年で退去を迫られる機会が訪れることは頭にありません。そこまで考えろというのも酷な話です。

 ミヤマユリネでは、このような意図の不明瞭な曖昧な概念を使うのは避けたいため、記事の紹介などを除いて減災という言葉は極力使用を控え、防災を使いたいと思います。

 おそらくこの言葉が定着しない理由は、多くの人が当NPOと同じように、この言葉の有用な利用方法をはかりかね、様子見しているからだと思います。


 追記しますと、このような曖昧な言葉は市役所の担当者が他所への対応を促す際にもよく使われます。区分をする言葉なのでこちらの担当ではないという文脈に使用されるのです。言われた市民は専門用語に聞こえますのでそういうものなのかと退き下がってしまうわけなのですが、そもそも言葉自体に大した意味合いがあるわけではありません。防災という言葉を使ってもらうのも一つの手だと思います。当然防災となると自治体は無関係ですとは言えません。

入り口 > 防災 > 講演会